2014年4月20日日曜日

松本人志監督 「R100」 感想

DVDで観ました~
松本人志監督 「R100」

【結論】

裸の王様の悲劇、ここに極まれり。

■良かった点

・松本人志監督の新作が公開されたということ

■イマイチな点

1、駄作をわざわざ撮ったというオチを含めて駄作の域を出ていない

→本作は劇中劇になっています。
 100歳を超える老人が映画監督であり、その映画の試写を観ているという構造。
 メタ視点ってやつですか。
 SMをテーマにした映画をこの老監督が撮っているわけです。

 作品内で、関係者が映画を批判します。
 ストーリーの意味がわからないとか、アレはなぜああなんだ、とかとか。

 つまり、リアルの観客の気持ちを代弁しているわけです。
 実際に映画館に足を運んだ人とか、レンタルで観た人とかの気持ちを。

 このメタ視点の使い方も姑息です。
 批判が怖くて予防線張っとくって。

 でももっと酷いのがオチです。

 最後のオチは、駄作を撮ったことに老監督がエクスタシーを感じている場面で終わります。

 つまり、老監督は自身の快楽のためにわざわざ駄作を撮ったというオチです。

 いや、全体通して駄作だから、成立してませんよ。

 「劇中劇が駄作だった」←ことをメタ視点から捉えて、全体としてなるほど、だから劇中劇が駄作である必要があったんだな、って納得させないとダメなわけです。

 なぜ老監督はわざわざ駄作を作る必要があったのか?
 映画じゃないとダメなのか?
 なぜ映画じゃないとエクスタシーを感じないのか?

 といった点が全く描かれていないので納得感がないのです。

 劇中劇では大森南朋は肉体的に痛めつけられることで快感を感じています。

 老監督は精神的に痛めつけられることが好きなの?
 これも描かれていないのでわかりません。

 これじゃあ、単に駄作であるという批判をかわすための装置としか思えません。

 これを回避するには、老監督ではなく、松本人志監督が本人役として出れば良かったのです。
 本人が出て、世間に問う!とすればまだ成立してたと思います。

 でもそれもできなかった。
 というか、アドバイスする人がいなかった。

 松本人志監督はお笑い界では天才だけど映画界では残念ながら石ころです。
 ネームバリューは最高だけど作品は最低。

 絶対に映画の才能があるブレーンが必要なんです。
 高須さん、倉本さんも笑いのブレーンとしては最高ですが、映画では結果を出せていません。

 それでも4作出せたところがすごいのですが、5作品目はちゃんとしたサポートを得た松本人志作品を観てみたいですね。

 今のままだとまさに裸の王様状態なので。残念です。

2、SM=痛いだけという発想が貧困

→SMって肉体的な面では痛みを伴ったりってものありますが、精神的な面も多分にあります。
 が、本作ではひたすら「痛い」だけ。

 SMってまず相互信頼感がないと成立しないし、本作では日常に突然女王様が登場しますがそもそも秘匿された環境でこそ・・・・・・って本作のSMについて書こうかと思いましたが、そもそも劇中劇が「駄作」として描かれているため、無意味ですね。

3、2を受けて、つまり劇中劇が「駄作」をわざわざ撮ったていにしているため、劇中劇のツマラナサに何も言う気が起きなくなる。

→ホント、批判するだけ無意味ですよね。だってわざわざ駄作を撮ったのだから!

 われわれは、お金を払って「駄作」を見せられ、しかしアレがおもしろくない!という権利も奪われ、老監督のエクスタシーにつき合わされるという苦痛を受けるという、最大の被害者なのです。

 ごっつの名コント「とかげのおっさん」みたいなのを映画にするとかじゃあ、ダメなの?
 まずはそこから始めればいいと思う。

★補足

 松本人志監督作品では

 大日本人>>>>しんぼる>さや侍>R100

 です。

 大日本人は最後のドタバタな戦いの直前までは佳作だったんですがねー。
 しんぼるはボケの酷さに絶望。
 さや侍はお涙頂戴路線に愕然としました。
 5作目も期待はしていますが、どうなることやら。

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